~MEMORIAL~津波・震災復興祈念公園

地域実践活動

「~経験・伝承・そして未来へ~」と題して、令和5年11月20日(日)に震災伝承見学会を催しました。午前9時半に石巻南浜津波復興祈念公園集合時には、海沿いということもあって冷たい風が吹き、さらに雨がぽつぽつと降り始めていました。語り部様による案内は野外がメインであるため過酷なツアーになるかと予想されました。

虹の出迎え

しかし危ぶまれたお天気も、みやぎ東日本大震災津波伝承館見学後、一丁目の丘に登った頃には、石巻市震災遺構門脇小学校の裏手にある日和山上空に虹が見られるなどすっかり良くなっていました。この裏山に逃げるために、校舎に避難していた人たちは1階屋根と擁壁の間に教壇を橋のように架け、体育館の避難者たちは同じ教壇を梯子にして登り脱出したのです。

標高10mの丘から公園全体を望むことができ、善海田池には池内の島が浮かんでいます。この池は震災による地盤沈下により市街化以前の湿地が表出したもので、島はかつての道路交差点を十字型あるいはT字型に遺したものです。

祈りの場

祈りの場では池に面して三日月形の水盤が風で静かに波模様を映し出しており、恐ろしい震災の津波の元素でもある水をここでは癒しに変換しているように思われます。洗掘湿地を抜け、石巻市慰霊碑にてお亡くなりになられた方々を追悼します。

門脇小学校

石巻市震災遺構門脇小学校は地震から約1時間後に津波が襲来し津波火災が発生、3階建て校舎は炎に包まれました。津波火災の痕跡がまざまざと残る遺構です。2階窓のいくつかはカーテンやガラスが残っており、これは地震で防火扉が作動したおかげで保存されました。

別館の特別教室には当時の楽器等が保管展示され、体育館には被災車両・応急仮設住宅が並び、生徒たちの描いた大きな絵がいまも高く掲げられています。いしのまき元気いちばで皆さん揃って昼食をいただき、各自車で南三陸さんさん商店街へ移動となりました。

南三陸へ

全国旅行支援もあって駐車場はすべて満杯でしたので、車は国道398号をはさんだ向かい側、神社の駐車場を案内されました。地域限定クーポンも使用できるお店が立ち並びかなりの賑わいを見せていました。

311メモリアル

道の駅さんさん南三陸は、平面図を見ますと南三陸311メモリアルこと南三陸町東日本大震災伝承館を真ん中に、交通ターミナル、南三陸ポータルセンターの三つの施設がブーメラン形に配置されております。平面図では伝承館のみが2階建てで、2階部分は展望デッキとエレベーター、吹き抜けとなっているようです。

ここへつながる外部階段にいる人たちを遠く神社側から見たとき、屋根の上を歩いているのかと錯覚しました。山庄建設株式会社社長の施工時のお話を頂戴し皆さんで集合写真を撮ってから、巨匠の建築の中に入りました。中国のガラスやドイツの金網をはじめ、平凡なところが全くない建物でした。ラーニングシアターは三面スクリーンで音響も良く、視聴者参加型プログラムで自然災害について学べます。

MEMORIAL

シアター入口に隣接してアートゾーンがあり、クリスチャン・ボルダンスキーのインスタレーションスペースがあります。

“MEMORIAL”という名のその作品は、磁石で連結された四角いブリキ缶が倉庫の積み荷のようにたくさん並べられていて、天井から数個の裸電球がうっすらと照らしている、そのような空間です。

建物見学後は再び語り部様の案内となります。中橋、南三陸町震災復興祈念公園、旧防災対策庁舎などを周りながら当事者ならではの生々しいお話を聞かせていただきました。

高さのみち

復興祈念のテラスには高さのみちという歩道があり、津波の平均高さ海抜16.5mを表しています。旧防災対策庁舎の3階でも逃げるには足りないことがわかります。鉄骨がむき出しになったまま2031年まで県が保存する予定の遺構に、夕暮れたくさんの雀が帰ってきて賑やかに鳴いていました。

まとめ

はやライトアップされた中橋と311メモリアルを眺めながらの閉会でした。石巻南浜津波復興祈念公園・南三陸町震災復興祈念公園の両施設に共通するものとして、東日本大震災を記憶すること、そして災害から学ぶことと悲しみを忘れないことを、一つの言葉として表すのが”MEMORIAL”だと思いました。日本語の意味にすると記念ですが、どちらも祈念”PRAYER”という文字で表現しているのが最も印象に残る震災伝承見学会でした。

 

注) 以上の記事は建築士会小冊子「窓」に掲載されたものの転載です。

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