建築基準法の道路

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都市計画区域

都市計画区域内におきましては建築物の敷地は道路に接していないといけません。

第二節 建築物又はその敷地と道路又は壁面線との関係等
(敷地等と道路との関係)
第四十三条 建築物の敷地は、道路(次に掲げるものを除く。第四十四条第一項を除き、以下同じ。)に二メートル以上接しなければならない

道路の定義

この道路につきまして法第42条に定義されています。

(道路の定義)

第四十二条 この章の規定において「道路」とは、次の各号のいずれかに該当する幅員四メートル(特定行政庁がその地方の気候若しくは風土の特殊性又は土地の状況により必要と認めて都道府県都市計画審議会の議を経て指定する区域内においては、六メートル。次項及び第三項において同じ。)以上のもの(地下におけるものを除く。)をいう。

一 道路法(昭和二十七年法律第百八十号)による道路
二 都市計画法、土地区画整理法(昭和二十九年法律第百十九号)、旧住宅地造成事業に関する法律(昭和三十九年法律第百六十号)、都市再開発法(昭和四十四年法律第三十八号)、新都市基盤整備法(昭和四十七年法律第八十六号)、大都市地域における住宅及び住宅地の供給の促進に関する特別措置法(昭和五十年法律第六十七号)又は密集市街地整備法(第六章に限る。以下この項において同じ。)による道路
三 都市計画区域若しくは準都市計画区域の指定若しくは変更又は第六十八条の九第一項の規定に基づく条例の制定若しくは改正によりこの章の規定が適用されるに至つた際現に存在する道
四 道路法、都市計画法、土地区画整理法、都市再開発法、新都市基盤整備法、大都市地域における住宅及び住宅地の供給の促進に関する特別措置法又は密集市街地整備法による新設又は変更の事業計画のある道路で、二年以内にその事業が執行される予定のものとして特定行政庁が指定したもの
五 土地を建築物の敷地として利用するため、道路法、都市計画法、土地区画整理法、都市再開発法、新都市基盤整備法、大都市地域における住宅及び住宅地の供給の促進に関する特別措置法又は密集市街地整備法によらないで築造する政令で定める基準に適合する道で、これを築造しようとする者が特定行政庁からその位置の指定を受けたもの

許可申請

これらのどれにも当てはまらないものは道路ではないということになります
したがって建築できないかもしくは許可申請を行う必要がございます。

二 その敷地の周囲に広い空地を有する建築物その他の国土交通省令で定める基準に適合する建築物で、特定行政庁が交通上、安全上、防火上及び衛生上支障がないと認めて建築審査会の同意を得て許可したもの

 

これから建てる建築物の敷地が都市計画区域内か外かは必ず確認するようにしましょう。

~MEMORIAL~津波・震災復興祈念公園

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地域実践活動

「~経験・伝承・そして未来へ~」と題して、令和5年11月20日(日)に震災伝承見学会を催しました。午前9時半に石巻南浜津波復興祈念公園集合時には、海沿いということもあって冷たい風が吹き、さらに雨がぽつぽつと降り始めていました。語り部様による案内は野外がメインであるため過酷なツアーになるかと予想されました。

虹の出迎え

しかし危ぶまれたお天気も、みやぎ東日本大震災津波伝承館見学後、一丁目の丘に登った頃には、石巻市震災遺構門脇小学校の裏手にある日和山上空に虹が見られるなどすっかり良くなっていました。この裏山に逃げるために、校舎に避難していた人たちは1階屋根と擁壁の間に教壇を橋のように架け、体育館の避難者たちは同じ教壇を梯子にして登り脱出したのです。

標高10mの丘から公園全体を望むことができ、善海田池には池内の島が浮かんでいます。この池は震災による地盤沈下により市街化以前の湿地が表出したもので、島はかつての道路交差点を十字型あるいはT字型に遺したものです。

祈りの場

祈りの場では池に面して三日月形の水盤が風で静かに波模様を映し出しており、恐ろしい震災の津波の元素でもある水をここでは癒しに変換しているように思われます。洗掘湿地を抜け、石巻市慰霊碑にてお亡くなりになられた方々を追悼します。

門脇小学校

石巻市震災遺構門脇小学校は地震から約1時間後に津波が襲来し津波火災が発生、3階建て校舎は炎に包まれました。津波火災の痕跡がまざまざと残る遺構です。2階窓のいくつかはカーテンやガラスが残っており、これは地震で防火扉が作動したおかげで保存されました。

別館の特別教室には当時の楽器等が保管展示され、体育館には被災車両・応急仮設住宅が並び、生徒たちの描いた大きな絵がいまも高く掲げられています。いしのまき元気いちばで皆さん揃って昼食をいただき、各自車で南三陸さんさん商店街へ移動となりました。

南三陸へ

全国旅行支援もあって駐車場はすべて満杯でしたので、車は国道398号をはさんだ向かい側、神社の駐車場を案内されました。地域限定クーポンも使用できるお店が立ち並びかなりの賑わいを見せていました。

311メモリアル

道の駅さんさん南三陸は、平面図を見ますと南三陸311メモリアルこと南三陸町東日本大震災伝承館を真ん中に、交通ターミナル、南三陸ポータルセンターの三つの施設がブーメラン形に配置されております。平面図では伝承館のみが2階建てで、2階部分は展望デッキとエレベーター、吹き抜けとなっているようです。

ここへつながる外部階段にいる人たちを遠く神社側から見たとき、屋根の上を歩いているのかと錯覚しました。山庄建設株式会社社長の施工時のお話を頂戴し皆さんで集合写真を撮ってから、巨匠の建築の中に入りました。中国のガラスやドイツの金網をはじめ、平凡なところが全くない建物でした。ラーニングシアターは三面スクリーンで音響も良く、視聴者参加型プログラムで自然災害について学べます。

MEMORIAL

シアター入口に隣接してアートゾーンがあり、クリスチャン・ボルダンスキーのインスタレーションスペースがあります。

“MEMORIAL”という名のその作品は、磁石で連結された四角いブリキ缶が倉庫の積み荷のようにたくさん並べられていて、天井から数個の裸電球がうっすらと照らしている、そのような空間です。

建物見学後は再び語り部様の案内となります。中橋、南三陸町震災復興祈念公園、旧防災対策庁舎などを周りながら当事者ならではの生々しいお話を聞かせていただきました。

高さのみち

復興祈念のテラスには高さのみちという歩道があり、津波の平均高さ海抜16.5mを表しています。旧防災対策庁舎の3階でも逃げるには足りないことがわかります。鉄骨がむき出しになったまま2031年まで県が保存する予定の遺構に、夕暮れたくさんの雀が帰ってきて賑やかに鳴いていました。

まとめ

はやライトアップされた中橋と311メモリアルを眺めながらの閉会でした。石巻南浜津波復興祈念公園・南三陸町震災復興祈念公園の両施設に共通するものとして、東日本大震災を記憶すること、そして災害から学ぶことと悲しみを忘れないことを、一つの言葉として表すのが”MEMORIAL”だと思いました。日本語の意味にすると記念ですが、どちらも祈念”PRAYER”という文字で表現しているのが最も印象に残る震災伝承見学会でした。

 

注) 以上の記事は建築士会小冊子「窓」に掲載されたものの転載です。