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ダムと堰の違いとは?加美町・漆沢ダムと上川原堰が支える水と暮らし

地域を支えるダムと堰、水車と水力発電

1. ダムと堰の違いについて

ダムと堰(せき)はどちらも川の流れをせき止めて水を貯める構造物です。普段はゲート(閘門)を閉じて水を蓄え、洪水時にゲートを開けて下流に流すことで水量を調節する役割があります。一般的に高さ15m以上の堤体を持つものが「ダム」、それより低いものを「堰」と呼びます。高さ以外にも規模や目的に違いがありますが、大きな違いはその規模と機能です。ダムは巨大な貯水池を形成し、洪水調節・発電・上水道供給など複数の目的を兼ねることが多いのに対し、堰は比較的小規模で農業用水の取水や水位維持など特定の目的に用いられることが多いです。

ダムは山間部など川の上流に建設され、大量の水を貯めておけるため洪水調節水不足対策に威力を発揮します。一方、堰は川の中流・下流や支流に設置され、水位を少し上げて農業用水路や上水道取水口への水を確保するのが主な役割です。堰はダムに比べ構造が簡易なものも多く、水門や可動堰を備えて必要に応じ水量を調整します。つまり、ダムも堰も地域の水をコントロールする大切な施設ですが、そのスケールと設置目的が異なるのです。

2. 地元のダムについて(漆沢ダム)

宮城県加美町にある漆沢ダム(うるしざわダム)は、地元を代表する多目的ダムです。加美郡加美町の漆沢地区を流れる鳴瀬川本流上に1981年に完成したロックフィル式のダムで、堤高80m・堤頂長310mにも及ぶ大きさです。このダムは洪水調節・灌漑・上水道・工業用水・発電という5つの目的を持ち、まさに地域の暮らしと産業を支える要(かなめ)となっています。ダムができる前、鳴瀬川流域は大雨のたびに洪水被害が発生し、また渇水時には農作物への水不足が心配されていました。しかし漆沢ダム完成後は、豊富な貯水によって洪水ピークを抑え、雨が少ない時期にも安定して水が供給されるようになりました。

漆沢ダムの堤体(ロックフィルダム)。1981年に完成し、地域の洪水調節と水利用を支えている。ダム湖は「鳴源湖」と名付けられ、美しい景観を楽しめる。

漆沢ダムの貯水池は鳴源湖(めいげんこ)と名付けられています。この名前は、鳴瀬川の“源”流に築かれたダム湖であることに由来し、平成3年(1991年)にダム完成10周年を記念して命名されました。鳴源湖は四季折々に美しい表情を見せ、紅葉や新緑の季節には湖畔公園に訪れる人々の目を楽しませています。かつてダム湖周辺にはいわなの里湖畔公園が整備され、釣り大会や自然観察会などイベントも行われていました。残念ながら近年はダム湖への林道通行規制のため利用が制限されていますが、現在も展望台から雄大なダムと湖を望むことができます。

施工面にも触れてみると、漆沢ダムは宮城県が事業主体となり、鹿島建設を主とする建設陣により1970年に着工、11年の歳月をかけ1981年に竣工しました。ダム本体は中央コア型ロックフィルダムと呼ばれる型式で、土と岩石を何層にも積み上げ、その中心部に粘土質の遮水壁(コア)が入っています。こうした構造によって水をせき止めると同時に巨大な水圧に耐える強度を生み出しています。工事中は川の流れを一時的に迂回させる仮排水路を設け、基礎岩盤の掘削・整地、そして盛土・転圧を繰り返して少しずつ高さを増していきました。地元からも多くの作業員が関わり、当時最新鋭の重機と技術が投入された大プロジェクトでした。ダム建設にあたっては長期間にわたる環境調査も実施され、建設地の動植物や生態系への影響を極力抑える配慮がなされています。完成から約40年、漆沢ダムは地域の安心安全と豊かな暮らしを静かに支え続けています。

3. 地元近所の「堰」について(上川原頭首工)

加美町の中心部を流れる鳴瀬川には、大きなダムだけでなく**堰(頭首工)**も存在します。地元で親しまれているのが「上川原頭首工(かみかわら とうしゅこう)」と呼ばれる堰で、加美町中新田地区の鳴瀬川と田川の合流点付近に位置しています。Googleマップ上では「農水省 上川原頭首工」と表示され、近くには中新田バイパスの橋や「中新田アユの里公園」「鳴瀬川カヌーレーシング競技場」「鳴瀬川河川公園」などの施設があります。現在の上川原頭首工はコンクリートとゴム製可動堰による近代的な構造で、堤長約226mにも及ぶ大きなものです。平成7年(1995年)頃に国営農業水利事業の一環として整備され、鳴瀬川から大崎耕土の広大な水田地帯へ農業用水を送り出す重要な役割を担っています。この頭首工のおかげで、下流域の田んぼは安定した潅漑(かんがい)用水を得られるようになり、加美町を含む大崎地域は日本有数の米どころとして発展してきました。

上川原頭首工(加美町)。鳴瀬川本流を横断する長大な堰で、水位を上げて農業用水路へ水を導く役割を担う。上流側は水面が穏やかになり、カヌーレーシングのコースにもなっている。

実はこの上川原頭首工、歴史をたどると江戸時代にまで遡ります。寛永17年(1640年)に藩政期の加美地域で**田川堰(たがわせき)**として築造されたのが始まりと伝えられています。当初は鳴瀬川本流に木や石で作った堰を設けて農業用水を取水していましたが、維持管理や度重なる洪水で流失することも多く大変な苦労があったようです。そこで後に取水地点をより管理しやすい田川(鳴瀬川の支流)に付け替え、「田川堰」と呼ばれるようになりました。明治以降も地域の人々は堰を修繕しながら使い続け、昭和期にはコンクリート造の固定堰となって農地を潤してきました。そして平成の国営事業で堰が大規模改修され、現在の上川原頭首工として生まれ変わったのです。

上川原頭首工の上流側は鳴瀬川の水位がせき止められて静水となり、長さ約1kmにわたる直線的な水面が形成されています。この区間は全国的にも有名なカヌーレーシング競技場になっており、見通しの良いコースは「日本一のコース」と評されるほどです。平成16年(2004年)には宮城県で開催された国体(全国体育大会)のカヌー競技会場となり、その際に川岸の整備も行われました。また高校総体(インターハイ)など全国大会も度々開かれており、加美町はカヌースポーツの盛んな町として知られています。地元の中新田高校カヌー部は全国優勝の常連で、放課後に鳴瀬川で練習する高校生の姿は町の風物詩となっています。昔ながらの堰が、現代ではスポーツや観光の拠点として新たな価値を生んでいる好例と言えるでしょう。

一方で、昭和の頃まで鳴瀬川の河原は子どもたちの格好の遊び場でもありました。夏になると川原で水遊びをしたり、魚釣りや川虫採集に熱中した思い出を持つ方も多いでしょう。現在は川遊びをする子どもの姿は減りましたが、その代わりに先述のようなカヌー体験や河川公園でのイベントが行われるようになりました。川との関わり方は時代とともに変わりましたが、堰がもたらす穏やかな水辺空間は今も地域住民の憩いの場であり続けています。

4. 水車の役割(今と昔)

ダムや堰と並んで、かつての農村で重要な水利用施設と言えば**水車(すいしゃ)**が挙げられます。水車は水の流れる力で羽根車を回転させ、その力を利用して様々な仕事をする仕掛けです。江戸時代以降、日本各地の川や用水路には水車が設置され、精米や製粉などに大活躍しました。加美町を含む大崎地域でも、用水沿いの水車小屋でお米を搗(つ)いたり粉を挽いたりしたことでしょう。当時、水車で行う製粉業は「水車稼ぎ」と呼ばれ、米どころのこの地域では農家にとって貴重な副収入源でもあったようです。

昔の子どもたちは水車小屋の回る様子に親しみ、「ゴトゴトと回る水車の音を聞くと落ち着く」と語るお年寄りもいます。明治・大正期になると、水車は農業だけでなく製糸工場や鉱山の排水など小規模な動力源としても利用されました。しかし昭和中期以降、電気モーターや内燃機関の普及に伴い水車の実用利用は減少していきます。用水路沿いの水車小屋も次第に姿を消し、現在では観光用や保存用にわずかに残るのみとなりました。

現在、加美町内で目にする水車といえば観光施設や飲食店の飾りとして復元されたものが多いです。例えば薬莱山麓の温泉施設「やくらい薬師の湯」近くにある蕎麦処「滝庭の関 駒庄」の庭先には、本物の水車小屋が復元されていて昔の風情を味わうことができます。水車のゆったり回る姿は現代人にとってどこか懐かしく、地域の景観にも彩りを添えています。一方、少数ながら現役で稼働する水車も全国には残っており、例えば福岡県朝倉市の三連水車などは200年以上も地域の灌漑に使われ続けています。また最近では、水車を利用したマイクロ水力発電が見直されつつあります。山間部の小川に小型の水車発電機を設置し、集落の電源に役立てる試みも各地で行われています。このように、水車は形を変えつつも「水の力を活かす技術」として細々と命脈を保っており、郷土の歴史を今に伝える大切な存在です。

5. 水力発電の仕組み

水力発電は、水が高い所から低い所へ落ちる力(位置エネルギー)を利用して電気を生み出す発電方法です。ダムや堰で高低差を生み出し、その落差を落ちる水の流れでタービン(水車)を回転させ、その回転エネルギーで発電機を回して電気を起こします。仕組み自体はシンプルで、昔の水車小屋が臼(うす)を動かしていた代わりに、現代の水力発電所ではタービンが発電機を回すという違いがあります。

一般的なダム式水力発電所では、ダムの貯水池から**水圧管路(ペンストック)**と呼ばれる太いパイプで水を下方の発電所建屋まで導きます。水は高さのエネルギーがあるので管の中をものすごい勢いで流下し、発電所に据え付けられた水車タービンにぶつかって回転させます。そのタービンと直結した発電機のコイルが回り、電磁誘導によって電気が発生するのです。この電気を変圧器で高電圧に昇圧し、送電線を通じて各家庭や工場に送り届けます。

漆沢ダムでもこの原理を使った水力発電が行われています。ダム直下に小規模な発電用水路があり、落差を利用してタービンを回しているのです。漆沢ダムの発電所は最大出力数百キロワット程度と大規模ではありませんが、ダムから常時放流される水を無駄にせずエネルギーに変える役割を果たしています。また水力発電は再生可能エネルギーの一つで、発電時にCO2を排出しないクリーンな電力です。日本は山が多く雨も多い地形のため、昔から水力発電が盛んに行われてきました。現在使われている電気の約8〜9%は水力発電由来と言われ、特に東北電力管内では割合が高くなっています。ダムや堰が作る高低差は、このように地域の電力にも貢献しているのです。

しかし水力発電にも課題はあります。新たにダムを造るには莫大な費用と年月がかかり、環境への影響も無視できません。また発電量は降水量に左右されるため、極端な渇水の年には思ったように発電できないこともあります。それでも、一度設備が整えば燃料不要で半永久的に運用できる利点は大きく、効率も火力・太陽光よりはるかに高い約80%と優秀です。ダムや堰と上手に付き合いながら、水力発電を含む再生可能エネルギーを今後も賢く活用していきたいものです。

6. 構造物としてのダムの設計と工事の進め方

ダム建設は国家的プロジェクトとも言える大事業です。その設計・施工は長期にわたり、多くの専門家と労力を必要とします。まず計画段階では、ダムを作る目的(治水か利水か発電か等)や適切な場所の選定から始まります。地形図や地質調査を綿密に行い、「ここにダムを造ればこれだけ水を貯められ、下流の洪水軽減や水供給にこれほど効果がある」といったシミュレーションを重ねます。また地震や豪雨など自然のリスクも考慮し、安全に耐えられる構造であるか検討します。漆沢ダムの場合も、事前に数年をかけて鳴瀬川流域の水量観測や地盤のボーリング調査が行われ、ロックフィルダム方式が選ばれました。当時最新の土質力学や材料強度の知見が投入され、設計図には膨大な計算と検討結果が詰まっています。

設計がまとまると、いよいよ工事着工です。ダム工事ではまず付け替え道路や作業用トンネルの建設、仮設工事用地の整備など準備から始まります。次に仮排水トンネルを山腹に掘削し、川の水を迂回させることでダム予定地を涸れ川状態にします。漆沢ダムでも仮排水路が掘られ、工事区域内の水を排除しました。その後、ダム基礎の岩盤を露出させるため大規模な掘削を行い、基礎岩盤面を整地・補強します。基礎が固まったら、コンクリートダムならコンクリート打設、フィルダムなら土砂や岩石の盛土をスタートします。

ロックフィルダムの漆沢ダムでは、川底から両岸に向けて材料を盛り立ててゆく工法が採られました。巨大なブルドーザーやダンプカーが石や土を運び、ブルドーザーで薄く敷きならし、振動ローラーで何度も締め固めます。この作業を何十層、何百層と繰り返し、高さ80mの堤体を築き上げました。中心部には水を通しにくい粘土質材料を入れ、両肩部には岩石を詰めることで、堤体内に安定と止水性を持たせています。コンクリートダムの場合は巨大な型枠にコンクリートを流し込み、一度に硬化する温度を下げるために打設ブロックという小分けにして積み上げます。どちらの方式も長期間の工事となるため、季節による気象条件や資材調達計画、人員配置などプロジェクト管理も非常に重要です。

工事の最終段階では、取水口や放流設備、発電施設など付帯設備の据え付け・調整も行われます。漆沢ダムでは非常用洪水吐きゲートや常用洪水吐き、発電用水路ゲートなどが設置され、制御設備の試験運転も慎重に実施されました。完成直前には貯水池となる谷間の立木伐採や住民の移転補償(※漆沢ダムではごく少数の移転)、道路の付け替え工事なども終え、すべてが整った段階で**試験湛水(たんすい)**といって実際に水を貯めて安全性を確認します。こうして無事完成したダムは、長ければ100年以上にわたり地域のインフラとして機能する重要施設となるのです。

ダム建設には常に環境との調和も求められます。工事に先立ち動植物の生息状況調査が行われ、必要に応じて保護措置や代替生息地の整備が検討されます。また完成後も周辺環境や水質、水温への影響をモニタリングし、問題があれば対策を講じます。近年はダムの新設が減っていますが、その代わり老朽化したダムの再開発(再生)工事や堆砂対策、新技術によるゲート改良などが各地で行われています。いずれにせよ、ダムという巨大構造物の設計・施工は土木技術の粋を集めたものと言え、人々の安全で豊かな暮らしを下支えする存在となっています。

7. 結び:地域(宮城県加美町)と堰やダムとの関わり

宮城県加美町をはじめ、私たちの暮らす地域社会は水との関わり抜きには語れません。豊かな田園地帯を潤す水、生活に欠かせない飲み水、そして時に脅威となる洪水――これらすべてにダムや堰といった水利施設が深く関与しています。漆沢ダムがあるおかげで鳴瀬川の下流域(大崎平野)は洪水リスクが低減され、安定した用水供給が可能になりました。また上川原頭首工という堰があることで、大崎耕土は全国有数の米どころとして稲作が営めています。地域住民にとって、ダムや堰は普段意識することの少ない存在かもしれませんが、その恩恵は日々の暮らしの中に確かに息づいています。

一方で、ダム湖や堰によって生まれた水辺空間はレクリエーションや地域交流の場としても機能しています。鳴源湖畔の公園や鳴瀬川のカヌー競技場には町内外から人々が訪れ、水に親しみながら憩いの時間を過ごしています。昭和の昔、子どもたちが川で魚取りや水遊びをした光景は少なくなりましたが、その代わりに大人から子どもまで楽しめる新しい水辺の楽しみ方が根付きました。これは、水利施設と地域社会がより良い形で共生している一例と言えるでしょう。

これからの時代、異常気象やエネルギー問題など課題は山積していますが、ダム・堰・水車といった先人の築いた知恵と技術を活かしつつ、持続可能な地域づくりを目指していくことが大切です。加美町に暮らす私たちも、身近にある漆沢ダムや上川原頭首工をただの風景として眺めるだけでなく、その役割や歴史に思いを馳せてみませんか。水を治め利用する知恵が現在の豊かな暮らしを支えていることに気づけば、いつもの景色が少し違って見えてくるかもしれません。ダムと堰、そして水車と水力発電――これら水辺のインフラに改めて感謝しつつ、地域と水との関わりを未来へ繋いでいきましょう。

最後までお読みいただきありがとうございました。水と土木の視点から地域を見つめ直す本記事が、皆様の日常に新たな発見をもたらせば幸いです。

参考文献・情報源

  • 宮城県加美町・漆沢ダムに関する現地案内板および宮城県公式ウェブサイト資料
  • オーバヤシ株式会社「ダムの世界」解説ページ
  • ウィキペディア「漆沢ダム」ページ
  • 加美町・鳴瀬川流域の農業水利事業に関する資料
  • 国土交通省資料(鳴瀬川カヌー競技場に関する言及)
  • 朝倉市三連水車に関する文献資料
  • 三井物産「水力発電の仕組み」解説記事
  • その他、加美町史・地域聞き取り等による.