かつて「夢のマイホーム」とされた団地。現代では高層タワーマンションが都市の象徴となり、さらに若者を中心にシェアハウスやリノベ物件への注目も高まっています。本記事では、日本の集合住宅がたどってきた変遷=“変環”を、社会背景や人々の価値観の変化とともに解説していきます。
1950年代〜60年代にかけて、日本は住宅不足と急速な都市化に直面しました。これに対応すべく、日本住宅公団(現・UR都市機構)が開発したのが「団地」です。
団地は、サラリーマン家庭にとっての“憧れ”でした。エレベーターがなくても、風通しの良い最上階は人気。階段を上ることもまた、当時の元気な生活の象徴だったのです。
1980年代後半、日本はバブル経済の真っ只中。住宅市場も例外ではなく、分譲マンションは高級志向を強めていきます。
この時代は、「自分の家を持って一人前」という価値観が根強く、マンションはステータスの象徴でした。
2000年代に入ると、都市再開発が進み、超高層のタワーマンションが次々と誕生します。
一方で、
などの課題も顕在化してきました。
近年、住まいに対する考え方はさらに多様化しています。
「広さ」よりも「関係性」や「機能性」が重視される傾向が強まっています。
これからの集合住宅は、次のような方向に進むと予測されます:
住まいとは単なる“箱”ではなく、「生き方」そのものを反映する空間になりつつあるのです。
日本の集合住宅は、ただの建築物ではなく、その時代の社会、経済、そして人間関係のあり方を映す“鏡”です。団地からタワマン、そしてシェア型やサステナブル集合住宅へ——その変環の先には、どんな未来が待っているのでしょうか?
集合住宅のこれからを考えることは、私たち一人ひとりの「これからの暮らし方」を考えることでもあります。