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日本の政治の中枢を担う国会議事堂(旧称:帝国議会議事堂)は、建築的にも大変ユニークな存在です。20年くらい前のある建築系雑誌に「鉄骨造」と記載されていたため誤解されかねませんが、実際には**鉄骨鉄筋コンクリート造(SRC造)**で建設されています。
鉄骨造(S造)は鋼材のみを主要な骨組みに使う構造ですが、SRC造はその鉄骨をさらに鉄筋コンクリートで包み込むことで、高い耐震性・耐火性・剛性を兼ね備える構造となっています。当時の最先端技術を取り入れ、日本の気候風土や災害に強い「国会の象徴」としてふさわしい堅牢な設計が実現しました。
竣工:昭和11年(1936年)11月
規模:中央塔を除き、地上3階・地下1階(一部4階建・塔屋付)
総重量:約10万9,000トン
使用鋼材:約9,810トン
外装材:日本全国から集められた花崗岩
内装材:国産の大理石や木材
建物には徹底して国産の資材が採用されました。外壁には各地の花崗岩が使われ、内装には白大理石や御影石、銘木が配置されています。こうした意匠は単なる装飾ではなく、「国の威信を示す建築」という理念の表れといえるでしょう。
中央塔は高さ65メートルに達し、竣工当時は日本で最も高い建築物のひとつでした。議場や中央ホールの天井装飾、大理石の柱や階段の仕上げは、近代建築でありながら古典主義的な重厚さを併せ持ち、訪れる人々に深い印象を残しています。
1881年(明治14年) 国会開設の勅諭が出され、議事堂建設構想がスタート。
1890年(明治23年) 初代仮議事堂が完成するも、火災により直後に焼失。その後、二度にわたり仮議事堂が建設・使用される。
1918〜1919年(大正7〜8年) 議事堂建設のための建築設計競技を実施。多数の応募の中から、宮内省技手・渡邊福三の案が一等に選ばれる。
以後、国内外の建築潮流を参考にしつつ設計修正が重ねられ、「純国産資材の使用」という方針が明確に定まった。
1920年(大正9年) 本議事堂の建設が正式に着工。
1923年(大正12年) 関東大震災が発生。建設中の建物本体は損害を免れたが、設計図や模型は焼失し、大きな遅れを余儀なくされる。
1925年(大正14年) 第二次仮議事堂が火災で焼失。わずか80日余りの突貫工事で第三次仮議事堂を建設。
1936年(昭和11年) 着工から約17年の歳月を経て、現在の国会議事堂がついに竣工。構想の発端から数えると、半世紀以上にわたる取り組みの結実であった。
国会議事堂は、鉄骨鉄筋コンクリート造による強固な構造と、国産資材による象徴的な意匠を兼ね備えた、近代日本建築の到達点ともいえる建物です。
その建設の過程には、火災や震災といった数々の困難が立ちはだかりましたが、それらを乗り越えて完成した議事堂は、現在も政治の舞台として日々機能し続けています。
近代建築としての合理性と、国威を示す象徴性をあわせ持つ国会議事堂は、単なる行政施設ではなく、日本建築史に刻まれる記念碑的建築といえるでしょう。